29年ぶりの体育祭開催

広島市にある中学校を会場として「掃除の会」を
開催したことがあります。
その中学校はそれまで、校風が荒れていて
体育祭どころではなかったそうです。
ところが、連続して三回、徹底した掃除を
行ったことがきっかけになって、
なんと29年ぶりに体育祭が開催される
までになりました。
環境がきれいになって、校内の雰囲気が
穏やかになったからだと思います。

愚痴

私の両親は、貧しい中から努力して築き上げた財産を、
生涯において三度、すべて失いました。
しかし、両親の愚痴を一度も聞いたことがありません。
自分の親ながら実に立派な生き様だったと
感心をしています。
両親ほどにはなれなくても、私もせめて、
自分自身の毎日の生き方と努力の積み重ねで、
できるだけ愚痴を言わず、
生きていきたいと心に決めています。

会社はウサギ小屋

創業時の会社は、ウサギ小屋みたいなものでした。
「人から見られていると思うと、会社に出入りするのがいやだ」
と社員からよく言われたものです。
そんなとき、「できないものはしようがないじゃないか」
とは考えませんでした。
いつかは、社員にそのような惨めな思いをさせなくてもよい
会社にしよう。
とただひたすら念じ続けて会社経営に取り組んでまいりました。

ホテルのシーツ

同じ部屋を二日、三日と利用するときは、
「この部屋は今日も使いますのでシーツは
取り替えなくても結構です。」と書いて
出かけるようにしております。
自宅で、毎日シーツを取り替える人は
いないはずです。
ところがホテルに泊まると、
お金を払ったぶん、シーツを替えて
もらわなければ損だと考える人が
ほとんどです。
卑しい考えだとおもいます。

迷惑を嫌った両親

両親の教えで、記憶に残っているのがデパートでのことです。
私たち子供が、ガラスケースに身を乗り出して
手で触ったりしますと、よくしかられました。
せっかくきれいにしてあるガラスを、
手で汚してはいけないというわけです。
一事が万事、この調子で、人様に迷惑をかけることを
極端に嫌う両親でした。
おかげで、私も迷惑をかけない生き方を最優先するように
なりました。

社員からの批判

掃除を始めたころのことです。
「うちの社長は掃除しかできない}
社員からの批判を、外部の人を
通してしばしば耳にしておりました。
そういう声を耳にするたびに、
何度やめようと迷ったかしれません。
迷っては戻り、迷っては戻りして
今日までやってまいりました。
しかし、どう考えてみても
掃除以外、私にできるいい方法が
見つからなかったのです。

見返り

いままで、かなり努力したつもりでも、
報われないことのほうがほとんどでした。
しかし、それでいいんだと思います。
それが自然の姿だと思います。
ひとりでも多くの人が、見返りばかり求めず、
努力そのものに意義を見出せるようになれば、
世の中はもっと穏やかになると思います。
現代人が豊かさの中で、幸せを実感できないのは、
努力以上の見返りを求めるからです。